正直に言います。
実は1回目に観たとき、全く理解できませんでした。(^^;
ですが2回目にして、ようやく自分なりの理解(解釈?)ができたのです。
せっかくなので勝手な解釈を書いてみようと思います。
あくまでも私個人の解釈・理解なので、必ずしも正解ではないかもしれません。
まずはテーマ。
そう。タイトルにもあるように「ある役者の人生」です。
初回は予備知識ゼロだったので、スローさ、転換の多さ、起伏のないストーリーに戸惑い、観終わった後、自分に何を残せばいいのか理解できませんでした。
でも、大きな間違いを犯していたことに気がつきました。
その大きな間違いとは・・・
「誰の視点で観ればいいのか」を、間違えていたんです。
豪華な役者さんの『ふたり芝居』ということと、個人的に『藤原竜也さん』のファンだということで、無意識に「ジョン」の視点で観てしまっていました。
でも違った。
『ライフ・イン・ザ・シアター』のライフは、「ロバート」の人生だった。
それに気づいた瞬間、ばらばらに見えていたエピソードがパズルのように、ばちっと繋がったように思うのです。
ロバートは最初、一目置かれるベテラン役者。
それが、どんどん若い有望な役者が成長し、自分を追い越していくのを目の当たりにする。焦り、嫉妬。
それに反比例するように、ロバートは舞台の上でミスをするようになり、落ち込み、自殺未遂するところまで落ちてしまう。
狭い「劇団」の世界で、その世界だけに生きてきたロバート。
ロバートの目線でみれば、自分が落ちるスピードと、若手が上るスピード、その相対スピードは相当早く感じられる。(ジョンの目線で見ていたら、ジョン自体は自分の上るスピードは、自分の努力のスピードだし、ロバート自身が落ちていることには気がつかない。)
こんな風に二人の位置関係は徐々に変わっていく。その微妙な変化が「舞台裏」「舞台本番」で交互に見えてくる。
舞台上では「台本にある決まったセリフ」しか言っていないハズで、個人的な思いとは無関係なハズなのに、微妙にリンクしている。
(ちょっとうろ覚えですが)
「この景色にも慣れてくる」「確かに昔はそうだったかもしれない。いやそうだったんだろう!」
「この世界ではやっていけないぞ!」・・・てな具合に。
セリフだけでなく、シチュエーション、演技もリンクしてる。
そうやってどんどん落ちていくロバートですが、最後のシーンは、少しだけ浮上しているように感じます。
ジョンと「あそこは良かったですよね!」と盛り上がり、ジョンにお金を貸して仲間の元へ送り出す。
ロバートは、役者として生きてきたし、たぶん他の生き方はできない。
それは不幸なようにも見えるし、同時にどこか幸せなようにも見える。
最後の「おつかれさまでした!」は、ロバートは自分自身に言ったセリフだと思う。どこか「引退」を思わせるラストシーン。
なにかの世界に生きる人は、どこか共通点があるように思います。
どこか滑稽で、どこかうらやましい。
今日の舞台で観た「ひとつの人生(物語)」は、観客である私の中にも残って、ほんのちょこっとだけど「私の人生」の一部になるんですよね。
だって演じてる人にとってもそうだけど、観てるほうだって人生の一部なんですもん!
(おまけ。その1)
原作は当然英語で、もしかしたら日本という設定で損した部分があったのかもしれない。
だって日本には「年上を敬う」「先輩には敬語」とか、基本精神としてあるわけだし・・・もちろん欧米にもあるけど、はっきりした「敬語」ってナイですよね。苗字で呼んだら反対に「私と距離おきたいってこと?」なんてことになりかねない。
だから、日本語じゃなかったらもっと二人の位置関係は微妙になって、面白いのかもしれない。
日本語だと、「すみませんがティッシュとっていただけますか?」→「ねぇ。ティッシュとって!」となって、わかりやすすぎるのかもしれないです。
もちろん欧文にも、丁寧な言い方、フレンドリーな言い方とかあるから、ある程度は一緒なんでしょうけど。原文はどうなってるんでしょうね。気になります。(^^;(読めって?笑)
まぁでも、ティッシュを舐めて先輩の顔を拭いちゃうあたりは、万国共通で笑えます。
(おまけ。その2)
途中『Knock on wood』のおまじない(?)が出てきました。
木をコンコンと叩く、悪魔祓いのおまじない。
例えば「あ、わたし今、自慢話しちゃった!」てな時に、コンコン!と木(木製)を叩く、いわゆる迷信です。
こういう文化的背景を理解できていたらもっと・・・というシーンが、他にもありそうです。
それと、言葉遊びがあるのかな・・・と思わせるセリフがいくつかありました。
これも原文ではどうなってんの?と気になるところです。(だから読めって。笑)